初めまして!10月からエンカレッジでインターンをさせて頂いている能澤直也と申します。これからインターン生として定期的にブログを更新していきたいと思いますので、よろしくお願い致します。今回は、Vol.1ということで、まずは私自身の自己紹介をしていきたいと思います。
自己紹介
では、改めまして、私の名前は能澤 直也といいます。ちなみに苗字の読み方は「ノザワ」です。京都出身京都育ちで、趣味は読書・映画鑑賞・海外旅行・筋トレ、特技は英語が話せることと、縄跳びで三重跳びができること(高校生の時は30回ほどできました)です。(笑)
大学3年生の夏からの約1年間、2017年8月から2018年7月までアメリカのミシガン州にあるカラマズー大学というところに派遣留学をしていました。その関係で卒業時期が半年延び、さらに浪人時代を含めると高校卒業から計5年半を経て、今年の9月に晴れて同志社大学を卒業することができました。そして、10月から株式会社エンカレッジにインターン生として参加させて頂き、主に大学生支援事業に関する業務に取り組んでいます。座右の銘は “Where there’s a will, there’s a way. (意志あるところに道は開ける)”です。よろしくお願い致します!
大学3年生の夏からの約1年間、2017年8月から2018年7月までアメリカのミシガン州にあるカラマズー大学というところに派遣留学をしていました。その関係で卒業時期が半年延び、さらに浪人時代を含めると高校卒業から計5年半を経て、今年の9月に晴れて同志社大学を卒業することができました。そして、10月から株式会社エンカレッジにインターン生として参加させて頂き、主に大学生支援事業に関する業務に取り組んでいます。座右の銘は “Where there’s a will, there’s a way. (意志あるところに道は開ける)”です。よろしくお願い致します!
エンカレッジのインターンに参加した経緯
こからは私がエンカレッジでのインターンに参加した理由についてお話していきたいと思います。が、その前にまずは少し昔の話を…。
▶ カンボジアでのある少年との出会い
それは遡ること、私が高校生だった時、カンボジアに学校を建てた大学生たちの実話に基づく映画が公開されました。実際にその映画を見たのはそれから随分と後になったのですが、当時その映画の予告CMを見て漠然と、自分も大学生になったらこんなことをしてみたいという憧れを抱きました。
そこから月日は流れ、私は同志社大学に入学しました。実は当時の私は、第一志望だった大学に合格することができず、かなり落ち込んでいました。しかし、それと同時にこのまま腐っていてはダメだと心のどこかで感じていたことも覚えています。そんな中、ある日偶然、カンボジアで学校建設をしているボランティアサークルに出会いました。そこで、高校生の時に抱いた憧れを思い出し、大学生の間に何かしなければという思いに駆られ、そのサークルに入ることを決意しました。そして、アルバイトをしてお金を貯め、ようやくその活動に参加できることになり、2年生の春にカンボジアを訪れました。
そこで私は、ある小学校で発話障害を持つ男の子に出会いました。その男の子は思ったように話すことができず、それが理由で他の生徒からもからかわれ、孤立していました。もしこれが日本ならば、特別支援学級で専任の先生が付くなどのサポートがあるのですが、私が訪れた小学校にはそのようなサポート体制があるようには見受けられませんでした。私自身、家族に障害のあるメンバーがいるという背景もあり、幼少期の頃から障害のある人たちと交流することが多かったので、カンボジアでのそのような現状に非常に心が痛みました。それと同時に、生まれた国や障害の有無で人々の生活水準はこれほどまでに変わるのかと深く考えさせられたことを今でも鮮明に覚えています。
そこから月日は流れ、私は同志社大学に入学しました。実は当時の私は、第一志望だった大学に合格することができず、かなり落ち込んでいました。しかし、それと同時にこのまま腐っていてはダメだと心のどこかで感じていたことも覚えています。そんな中、ある日偶然、カンボジアで学校建設をしているボランティアサークルに出会いました。そこで、高校生の時に抱いた憧れを思い出し、大学生の間に何かしなければという思いに駆られ、そのサークルに入ることを決意しました。そして、アルバイトをしてお金を貯め、ようやくその活動に参加できることになり、2年生の春にカンボジアを訪れました。
そこで私は、ある小学校で発話障害を持つ男の子に出会いました。その男の子は思ったように話すことができず、それが理由で他の生徒からもからかわれ、孤立していました。もしこれが日本ならば、特別支援学級で専任の先生が付くなどのサポートがあるのですが、私が訪れた小学校にはそのようなサポート体制があるようには見受けられませんでした。私自身、家族に障害のあるメンバーがいるという背景もあり、幼少期の頃から障害のある人たちと交流することが多かったので、カンボジアでのそのような現状に非常に心が痛みました。それと同時に、生まれた国や障害の有無で人々の生活水準はこれほどまでに変わるのかと深く考えさせられたことを今でも鮮明に覚えています。
▶ 心理学から障害者支援への転換点
ただその当時は、日本での生活に戻ると、カンボジアで感じたものは一時の感情として流れていってしまいました。そして、私が大学3年生の夏に、英語と心理学を学ぶため、同志社大学の派遣留学制度を活用し渡米しました。これは、大学卒業後に社会心理学を学ぶためにアメリカの大学院へ進学することを視野に入れての留学でした。アメリカ留学中は、現地の大学生と同じように英語で授業を受けていたので(留学生は私だけで他は全員アメリカ人学生という授業も多々ありました…)、それまで留学経験や英会話経験が全くなかった私は、かなり英語に苦戦し、毎晩夜中の2時頃まで図書館にこもって勉強する日々が1年間続きました。それでも、留学が終わる頃には、総合GPAも3.3/4.0と現地学生にも引けを取らない成績で最終学期を終えることができ、大きな成長を感じることができました。
その後は、自らシカゴの各大学の教授にメールを送ることで機会を得た、現地でのインターンシップに1ヶ月ほど従事しました。そこでは、シカゴにある大学の社会心理学研究室でのリサーチアシスタントとして、シカゴ街中での質問紙調査やデータ分析などに携わりました。
そして、多くの経験と学びを得て、日本に帰国しました。当時は、大学卒業後の進路として、アメリカの大学院への進学を検討していました。しかし、ある時からアメリカの大学院進学という選択肢に自分が100%の納得をしていないということに気づき、心理学を大学院で学ぶことが、本当に自分のしたいことなのだろうかと熟考し始めました。そこで考え抜いたことは、果たして自分は、自らの人生やキャリアをかけて何を達成したいのかということでした。考えていくうちに頭に浮かんで離れなかったことは、カンボジアで出会った発話障害のある男の子のことでした。その時に感じたのは、あのような悲しい現状があるということを知ってしまったからにはそれを見て見ぬふりはできないというような感覚でした。「生まれた国や障害の有無でその人の可能性や機会が奪われたりすることのある社会を少しでもより良いものにしたい」ということが私のキャリアを通しての達成したい目的であると気づき、将来は途上国で障害者支援に関わりたいと考えるようになりました。
その後は、自らシカゴの各大学の教授にメールを送ることで機会を得た、現地でのインターンシップに1ヶ月ほど従事しました。そこでは、シカゴにある大学の社会心理学研究室でのリサーチアシスタントとして、シカゴ街中での質問紙調査やデータ分析などに携わりました。
そして、多くの経験と学びを得て、日本に帰国しました。当時は、大学卒業後の進路として、アメリカの大学院への進学を検討していました。しかし、ある時からアメリカの大学院進学という選択肢に自分が100%の納得をしていないということに気づき、心理学を大学院で学ぶことが、本当に自分のしたいことなのだろうかと熟考し始めました。そこで考え抜いたことは、果たして自分は、自らの人生やキャリアをかけて何を達成したいのかということでした。考えていくうちに頭に浮かんで離れなかったことは、カンボジアで出会った発話障害のある男の子のことでした。その時に感じたのは、あのような悲しい現状があるということを知ってしまったからにはそれを見て見ぬふりはできないというような感覚でした。「生まれた国や障害の有無でその人の可能性や機会が奪われたりすることのある社会を少しでもより良いものにしたい」ということが私のキャリアを通しての達成したい目的であると気づき、将来は途上国で障害者支援に関わりたいと考えるようになりました。
▶ 障害のある人と社会をつなぐ架け橋となる活動への興味
しかし、今まで障害者支援の分野にほとんど携わった経験がない分、他国である途上国で障害者支援に従事する前に、まずは日本国内に現在どのような問題があり、それらに対してどのような動きがあるのかなどを知るべきだと感じました。そこで、日本の障害者支援の現状を学ぶことを目的としてエンカレッジでのインターンシップの参加を決意しました。
エンカレッジでは主に、発達障害やその他の理由で働きづらさを抱えた人たちの就職のサポートを行っています。具体的には、発達障害のある人たちに特化した就労移行支援や、働きづらさを抱える人たちが自らの強みと苦手をオープンにして企業にアプローチできるマッチングイベントの開催などです。私自身、デイサービスのような直接的な支援よりも、「支援を通して社会と障害者の間に入り込み、障害のある人々のより良い生活に貢献すると同時に社会全体の『障害者』に対する姿勢も変えていく」といった、障害のある人と社会をつなぐ架け橋的な内容の活動に対してより強い興味を持っています。現在、エンカレッジで行っている事業は、まさに企業と障害のある人々の間に入り、それぞれの架け橋として両者をつなぐ事業です。そのような業務内容が私の興味と一致していたことも、エンカレッジでのインターンシップを決意した大きな理由の一つとなりました。
エンカレッジでは主に、発達障害やその他の理由で働きづらさを抱えた人たちの就職のサポートを行っています。具体的には、発達障害のある人たちに特化した就労移行支援や、働きづらさを抱える人たちが自らの強みと苦手をオープンにして企業にアプローチできるマッチングイベントの開催などです。私自身、デイサービスのような直接的な支援よりも、「支援を通して社会と障害者の間に入り込み、障害のある人々のより良い生活に貢献すると同時に社会全体の『障害者』に対する姿勢も変えていく」といった、障害のある人と社会をつなぐ架け橋的な内容の活動に対してより強い興味を持っています。現在、エンカレッジで行っている事業は、まさに企業と障害のある人々の間に入り、それぞれの架け橋として両者をつなぐ事業です。そのような業務内容が私の興味と一致していたことも、エンカレッジでのインターンシップを決意した大きな理由の一つとなりました。
私の進路と今後のキャリアプラン
今後のプランとしては、まず2019年10月から2020年8月までは、障害者支援分野や国際協力に関連した国内外でのインターンシップに参加し、実務経験を積むと同時に自らの関心分野の特定および関心分野における知識の深化に努めたいと思っています。また、2020年の9月からはイギリスの大学院に進学する予定です。現在、UCL、マンチェスター大学、サセックス大学など、計5つの大学院からオファーを頂いています。大学院では、障害と開発学の両分野に関連する研究を行いたいと考えています。
イギリスの大学院卒業後は、まず日本で、途上国での開発援助や国際協力事業または障害者支援分野に関連する組織に就職し、業務の中で自らの専門性を活かし、さらにその専門性を高めていくことができればと思っています。そして、将来的には、国連や世界銀行といった国際機関で、障害のある人たちにスポットライトを当てた教育支援や、障害の有無に関わらず就職やその後のキャリアアップのチャンスを追い求めることのできるような社会の仕組み作りに貢献したいと考えています。
イギリスの大学院卒業後は、まず日本で、途上国での開発援助や国際協力事業または障害者支援分野に関連する組織に就職し、業務の中で自らの専門性を活かし、さらにその専門性を高めていくことができればと思っています。そして、将来的には、国連や世界銀行といった国際機関で、障害のある人たちにスポットライトを当てた教育支援や、障害の有無に関わらず就職やその後のキャリアアップのチャンスを追い求めることのできるような社会の仕組み作りに貢献したいと考えています。
エンカレッジでのインターンに対する意気込み
大学院や今後のキャリアにつながるような問題意識を見つけ出すためにも、このインターンを通して、日本における障害者支援の現状を体感するとともに、自らも一職員としての自覚を持ち、働きづらさを抱える人たちが自分に合った企業と出会えるように全力で貢献したいと思います!
📒 インターン生募集
エンカレッジでは、一緒に新規事業にチャレンジしてくれるインターン生を募集しています!ソーシャルビジネスに関わりたい方、社会課題の解決につながる新しい事業に一から取り組みたい方、新規事業の立ち上げや事業企画・マーケティングについて学びたい方など大歓迎です◎関西はもちろん、関東の学生さんもご参加いただけます。
皆さんからのご応募お待ちしております!
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